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タイトルは二十歳の頃に聴いていた「the マニラ帰り」のパクリです。お店の留守電とメールの数に驚いてしまいました。ご迷惑をおかけしたお客様、申しわけございません。また1年連休無しで頑張りますので、今後もよろしくお願いいたします。
こんにちは。鹿児島満喫モジュール店主でごわす。鹿児島は相当暖かいのかと思ってコットンのニットを着て行きましたが、結構寒かったのでレザージャケットばかり着てました。鹿児島のpaul smith のショップスタッフにも「そのレザージャケットカッコイイですねぇ。」と言われたのでR.NEWBOLDですよと言ったら驚いてました。今後paul smith の展示会でそのスタッフに偶然会ったら面白いです。
しかし、飛行機に乗った瞬間に「あぁ、帰ってきたなぁ。」と感じました。今まで乗った飛行機の中で1番小さい飛行機での離陸は軽快でちょっと違った乗り心地でした。旅の間いつもは聴きたいと思わないような音楽が頭の中に流れて意外でした。今までは旅の道中で聴いていた音楽でしたが、いつの間にか生活のリズムに合わなくなって聴かなくなっていたのかもしれません。そんな音楽が次々と頭に浮かんできました。
さて、仕事を忘れてリフレッシュというのが旅の目的ですからあまり洋服屋には行きませんでした。古着屋や雑貨屋は気になるお店を見つけると入りました。古着やアジア雑貨を見ているとバックパッカーだった頃を思い出します。今は「こんなのチャトチャックで10バーツで売ってるよ。」とか「アメリカだったら8ドル位だな。」なんて意地悪な見方もしないので純粋に物が見れて面白いです。
さて、鹿児島といえば西郷隆盛、大久保利通、島津家など歴史的に有名な人や大名、文化、産業があります。美味しい食べ物もいっぱいです。西郷さんの銅像は、「まぁ一応見ておくか・・・。」といった感じ(坂本竜馬、伊達政宗なんかも見てるし)でした。
今回の1番の目的である知覧の特攻平和会館で展示されていた映画セットの戦闘機が右の写真です。よく出来ていますし、映像になるとより本物っぽく見える撮影技術も凄いなぁなんて感心しました。学生さんは飛行機の前で敬礼のポーズで写真を撮っていましたが、店主的には気になる排気管処理の部分をジロジロ見てました。所詮アメリカにある生きている零戦の迫力には及びませんが。
知覧は旧陸軍の特攻隊員が出撃まで過ごした町です。鹿児島の穏やかな言葉と雰囲気にあふれる場所が最後の土地で良かったなと思いました。騒がしい言葉と町の雰囲気の中で最後の数日を過ごすというのでは気の毒ですからね。若い優秀な人たちが爆装した戦闘機で必死の攻撃をするというのは戦時中の悲劇として表現の題材に用いやすいとは思いますが、店主は通常攻撃での作戦に挑んで生還された方も、物資の少ない前線で無念のうちに病死された方にも同等の敬意をはらいたいと思いますので特別な感情にはなりませんでした。
元々予備知識があったので特攻隊についての印象は変わらず、遺書が有名な穴沢利夫氏の遺書を原文のまま読めてよかったなとか、中学生の時に京都の嵐山で見た四式戦闘機を再び見れてよかったなといった感じでした。今風の女性2人組も何で知ったのか穴沢氏の遺書を探していましたが、本当に切なくて美しい文章なんですよ。

桜島にも行きました。長渕剛氏が24時間コンサートをやった場所にあるモニュメントもありました。桜島はなんとも雄大です。標高はそれほどでもないようですが、なんともいえない力強さがいいですね。久しぶりに自然の物をじっくり眺めて、頭が緩んでいくのを感じました。
夜はさつま揚げ、ラーメン、きびなご、豚足などの郷土料理と焼酎を楽しみました。今回の旅行で店主は焼酎のお湯割りを覚えました。街中をフラフラ歩いているとACE CAFEというバーを見つけたので思わず入ってしまいました。かつてロンドンにあったロッカーズの溜まり場と同じ名前なんです。この店には2晩連続で行きました。
とまぁ、こんな感じの3日間でしたが、最後まで長い日記を読んでくださった忍耐強い方々、戦時中の絶望的で日常的な幸せすら望む事ができなかった当時に最後まで家族や恋人、場合によっては命令を下した上官まで思いやった特攻隊員。そんな人達がいたという事だけは覚えておいてください。
当時の若者に課せられたものに比べれば、店主に与えられたハードルなんて低いもんです。もっともっと頑張りたいと思います。
Posted by moduul at 15:06:03 |コメントを読む(0) |トラックバックを読む(0) |コメントを書く
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